“Charlie” で深呼吸

行ってきました、Celluloid Japanさんによる川口でのマラヤーラム語映画”Charlie(チャーリー)”の上映会。

いやあ、よかったです。すごくよかった。

以下、スタッフの本日の感想をまとめてみました。

「一緒に深呼吸して心を解きほぐせるような映画だった」

「自分が追い求めている自由を主人公が代わりに気持ちよく追求してくれているという快感」

「観ているうちに身体の奥まで息を吸える感じになった」

「ケーララに行きたくなった」

「登場人物の視界が広がるシーンで、自分の視界も一緒に広がる感じ」

私にとっては、バックパックを背負って旅をはじめるヒロインがずっと昔の自分に重なって見えて、あんな服を着ていたなあ、あんなふうにジープにつかまって落っこちそうになりながら移動したなあと、いちいちグッときてしまう映画でした(このヒロインみたいにかわいくはなかったけれど……)。そういうふうになにかを探して旅をしていた若かりしころの気持ちなんてすっかり忘れていたのに、不意に記憶の扉がドバーッと開いてしまいましたよ。

「自分探し」というとちょっと気恥ずかしい。自由を求める気持ちはきっと皆どこかに持っているけれど、それを憐れみとともに葬っていくことが「成長」であり、一般常識を身につけた「大人」になることが大切だと思っている。そのこと自体は間違ってはいないでしょう。でも。でも。

ヒロインの周りの「大人」たちが何度もいいます。
「そんなくだらない理由でチャーリーを探して旅してるって、あなた正気なの?」と。
早く現実に戻れとみな口々にヒロインを説得するのです。

お話自体は、ヒロインがたまたま写真で見つけた人物「チャーリー」を、ある理由から探して旅し、道中いろいろな人々と出会っていくという他愛のない展開です。ヒロインは端々から察するにアッパーミドルのお嬢様で、インドといえば思い浮かぶ、日々の暮らしに精一杯な庶民ではありません。

それでも彼女はごくごく等身大で観客としての気持ちがスッと入っていくし、観る人すべてが、いずれかの登場人物に自分と重なる部分を見つけ、なりたかった自分や探していた自分を探し当てることができた喜びを味わえると思います。薄っぺらくなりがちなファンタジーを、巧みな映像と音楽でファンタジー以上の域に持っていった、そんな映画だと思いました。

冒頭からして、イスラーム教徒やヒッピーの西洋人カップルや鶏をも一緒に乗せた、まさに呉越同舟ともいえるようなボートに揺られたヒロインの微笑みがなんとも象徴的でした(ケーララ州はインドの中でもキリスト教徒が多く、またカトリック教会のすぐ隣にモスクがあったりとイスラーム教徒も多い、マルチカルチャー&信仰の州)。このノアの方舟を彷彿とさせるような冒頭に始まり、キリストの死と復活を見届ける証人「マグダラのマリア」がモチーフとして登場したり、はたまたイスラーム教の聖典コーランとヒンドゥー教の叙事詩ラーマーヤナのシータ姫が同列に語られたり、信仰と結びついた意味が深そうな台詞がところどころにあったので、これはきちんと日本語字幕で観たいですねえ。

あと、声を大にしていいたい、あのですね、ヒロインがかわいいです! 健康的なほどよいムチムチパンチ。中盤、はちきれそうなお肉をぶるぶるさせながら走るシーンはかなーり萌えました。かわいい女子が好きなタマ子嬢は所用により本日別行動でしたので、きっといまごろハンカチの端をキーッと噛みながら悔しがっていることでしょう。

この映画の舞台となっているフォート・コーチンの街角
この映画の舞台となっているフォート・コーチンの街角。港町コチ(コーチン)の雰囲気がまんま映画に出ていた

投稿者: アンジャリ(Anjali)

アンジャリ(Anjali)

Masala Press代表・印流楽しいこと案内人。神奈川県茅ヶ崎市生まれ。東京外国語大学インドネシア語科卒。学生だった1997年にバックパッカーとして単身インドを訪れ3ヶ月を各地で過ごす。以後、インドの舞踊と映画に心酔。ガイドブックなどのライターを経て旅行会社に就職、インド専門添乗員を務めるも、2001年からはインドとロンドンを拠点に放浪生活を送る。2006年に本帰国、外資系証券会社に再就職、10年間の会社員生活を経て、現在、インド映画の印流ブームを興すべく奮闘中。