“バーフバリ 王の凱旋(Baahubali 2: The Conclusion)”を観てきました!

本記事内の画像はすべて予告編より。Images in this article is taken from the official trailer

日本では前編の「バーフバリ 伝説誕生」がいまだじわじわと上映が続いており嬉しい限りです。

こちらは7/5(水)に日本版のDVD/BDが発売予定です!

さてその続編”バーフバリ 王の凱旋(Bahubali 2: The Conclusion)“。インドでの公開からはや2か月近く、やっと観ることができました。初見をより楽むための差し支えない程度のネタバレあり感想です。

まったく予備知識なく観たい方はご注意を。


「焼肉食べにちょっと韓国まで」とか「飲茶しにちょっと香港まで」とかがあるくらいですから、「映画観にちょっとインドまで」もあっていいですよね。いいのか。いや、いいということにしましょう。

実は、息子のほうのマヘンドラ・バーフバリの物語が中心の「伝説誕生」はバーフバリのやんちゃさが目立って「ふうん」という感じでした。戦いのシーンもなんだか「へえ」と乗り切れず。映像はきれいだしヒロインも可愛いのだけど、それ以外にグッとくる場所があまりありませんでした(ごめんなさい)。

ところがですよ。父親のアマレンドラ・バーフバリの物語にさかのぼる「王の凱旋」には。ええ、完全にやられました。絵面もお話も破天荒だった「伝説誕生」と比べ、そのテンションは保ちつつもよりドラマ性が高まった完結編といえます。

あらすじ

前編「バーフバリ 伝説誕生」のおさらい

カーラケーヤの戦いで勝利を治めたマヘーシュマティ王国国母シヴァガミは、人質にとられた民の犠牲をも辞さず戦った実の息子で兄のバッラーラデーヴァではなく、民を救いながら戦いに挑んだ弟(血縁上は甥)アマレンドラ・バーフバリを次期国王に選んだ。マヘーシュマティの民もみな、冷徹なバッラーラデーヴァではなく、強く正しく思慮深いバーフバリが王国を継承することを喜ぶのだった。

と、ここまで忠臣カタッパの証言により自らの出生、そして父が王位継承をするまでの経緯を知ったシヴドゥことマヘンドラ・バーフバリは、しかし父アマレンドラ・バーフバリはもうこの世におらず、あろうことか殺したのは自分だとカタッパの口から聞く。忠臣であるはずのカタッパがなぜ父アマレンドラ・バーフバリに手をかけねばならなかったのか? そしてなぜ父ではなくバッラーラデーヴァが現国王となったのか?

後編「バーフバリ2 ザ・コンクルージョン」(原題)のあらすじ

カーラケーヤの戦いからしばらく経ち、26年に一度行われる悪魔祓いの儀式も無事終えた国母シヴァガミは、戴冠の前に民の生活を肌で感じてくるようバーフバリに命じる。忠臣カタッパとともに宮殿を離れ、質素な出で立ちで民に扮して人々の生活を見て回るバーフバリは、ある日、隣国の一行に出くわすが、折り悪く盗賊に襲われてしまう。そこでバーフバリは、臣下たちとともに戦う姫君の華麗な剣さばきに見惚れる。

その姫、デーヴァセーナーの一行とともにクンタラ王国に旅するバーフバリ。クンタラ王国は小国ながら雪山と花々に囲まれた美しい国だった。

一方、バーフバリの妃探しを始めた国母シヴァガミだったが、兄のバーッラーラデーヴァが見初めた妃がクンタラ王国のデーヴァセーナー姫であることを知り、実子でありながら国王を継がせない負い目もあって、バッラーラデーヴァのためにデーヴァセーナー姫を迎える決意をする。

しかし、デーヴァセーナー姫はそのころすでにバーフバリと出会い互いに惹かれあっていた。国王の座とデーヴァセーナー姫を巡り、国母とふたりの王子たちに運命の亀裂が生じていく……。

凄まじい再生回数の予告編はこちら

見るたび再生回数が恐ろしいことになっている予告編です。インドの人口12億人超ですからね、そのうちどのくらいの人口がYoutubeを見られる環境にあるか分かりませんが、仮に1割しかいなくても、その1割がひとり1回再生したらたちまち1億回超えです。

ただ世界に冠たる映画大国とはいえ、地方語ごとの映画界があるインドで全国展開する作品はそれほど多くありません。過去にあったことはあっても、ここまでのインド全土大ヒットは空前絶後といえるでしょう。

しかも全国区でメジャーな北の大スター映画が南でヒットならまだ分かるのですが、南インドのローカルスター主演でオリジナルも南インドの言語という作品が北インドでも吹替版で大ヒットして、封切り後しばらくはチケットが全然とれなかったなんて、いままでになかった現象です。北インドの人々は南インドの映画にはほとんど関心を示しません。南でヒットした作品があれば、吹替ではなく北の俳優を使ってリメイクするのが今までの常識でした。

神の物語

理想の夫であり、理想の息子であり、理想の王であるアマレンドラ・バーフバリはまさに人々が求める非の打ちどころのない「神」であり、このような理想像に近づくべきだというロールモデルとしてもひじょうに魅力的に描かれていました。

これが神の物語、つまり神話であるからこそ、「ありえない」「まさか」な展開もすんなりと入ってきますし、神が人を愛したり母を敬ったり怒りをあらわにしたりと人間らしいふるまいをするところに、むしろ親近感が湧くというものです。劇中にも「これからは神がわれわれのおそばでお過ごしくださるのだ!」と民が身を震わせて喜びを表現するという場面がありました。

「女性は敬い大切に接するものだ」とか「生涯ずっとあなたを守ると誓う」といった女性への敬意ある言動がひとかけらの嫌味もなく、ただひたすらまっすぐに発せられているのもバーフバリだからこそといえます。鑑賞時、映画館では後ろにいた女子たちが老いも若きもキャーキャーと歓声をあげていました(笑)。しかも男気があって男にも好かれるタイプなんですよ、この人は。完璧です。

完全無欠ヒロイン

一方、バーフバリ(父)の妃として登場するのが、アヌーシュカ・シェッティ演じるクンタラ王国のデーヴァセーナー姫。「1」で登場したタマンナー演じるアヴァンティカも血気盛んで勇ましい女戦士でしたが、今回のデーヴァセーナー姫も登場からして華麗な剣で盗賊をバッタバッタと倒してすばらしい。

「1」では25年間幽閉されていたので、老いて汚れた役作りをしていたアヌーシュカも、バーフバリ(父)と出会ったばかりの「2」ではまばゆいばかりの美しさ。それもただ可愛い美しいというのではなく、姫の可憐さがありながらもピシっと一本通った気品があり、惚れ惚れします。

バーフバリ役のプラヴァースは身長190センチほど、アヌーシュカも175センチと並んだときのバランスも完璧で、もうこの作品のためにこの人たちは俳優になったのではないかと思えるような相性のよさとみごとなハマり具合です。

変わるヒロイン像

ボリウッドをはじめとして、インド映画界にこの数年「女性の意識改革」とでもいえるような大きな流れを感じます。女性は自らの道を選べない、男性に属して生きていくものだという考え方から、はっきりとした意志をもち、自ら行動していくヒロインの登場が多くなってきました。かつては甘く甲高い声で舌足らずに話すのが映画のなかのヒロインでしたが、いまやヒロインたちは低く重みのある発声をしています。

つまりヒロインたちは、「選ばれる」存在から「選ぶ」存在へと変わったのです。そんなのは映画の世界の話だと、特に保守的な地方などでは今はまだ現実味がないでしょうし、根強い男性優位社会はこれからも続くでしょうが、インドの女性の意識やとりまく世論は確実に変わっていると思いました。

かつて自由恋愛が映画の中だけのものだったのが、いまは様々な問題を付随させながらもそれなりに現実的になっているように、このようなカリスマ的な映画の強いメッセージが繰り返されることが、インドにおける女性の立場を変えていく一端を担っているのではないかと思います(もちろん映画だけで語れるような単純な問題ではありませんが)。

美しすぎるFall in Love

デーヴァセーナー姫も、「あなた任せ」ではない、意志のある姫として描かれています。そんな姫がそれまで抱いていたバーフバリへの淡い好意が、戦いの真っ只中、はっきりと恋心に変わります。その瞬間の表情が、もうなんともいえず愛おしく、私、その数秒の表情だけでダダ泣きしました。女優魂ここに極まったという感じでした。

恋ってなんだっけと心がささくれてしまった女性の皆さまに、ぜひスクリーンで観ていただきたい、あの美しいフォーリンラブを。

リアルな戦争は目を覆いたくなるようなことばかりで、移りゆく世界へ絶望的になにもできない己にうつうつとします。

だから映画における戦闘シーンにはリアリティなんていりません。

このふたりが戦うシーンは映画史に残る美しさだと思います。深読みするならば、彼らが倒しているのは人ではなく、概念としての「悪」(でなけりゃ兵士たちみんな、あっさりやられすぎ!)。とまれ、ここではデーヴァセーナーを労わり導くバーフバリの圧倒的な強さに魅せられ、ともに「悪」と戦いながら心が通い合うふたりに男女の理想の姿をみました。このシーンだけでも何度でも観たい。

強い女の苦悩

一方、バーフバリの母であり国母であるシヴァガミも、血で自らの手を汚すことも厭わない強い女性。この母に教えられた正しい道を貫こうとするバーフバリに対し、矛盾に気づきながらも母は君主としての正義、そして国の法を曲げるわけにはいかない。国母の重責と、ひとりの母親としての迷いや愛情の板挟みになり苦悩する姿は胸に迫るものがありました。

「1」でも怖かったけど「2」ではさらにおっかない国母シヴァガミ

カタッパの愛らしさ全開

「1」でもいい味出していたカタッパですが、「2」ではさらに愛らしさ全開です。バーフバリにとっては父親代わりともいえる存在で、つねにそばに控え、バーフバリの喜怒哀楽に寄り添います。バーフバリの身分を明かすシーンがありまして、そのときのカタッパの口上のすばらしさとドヤ顔っぷりは水戸黄門の助さん角さんにまさるとも劣らず。つい「ひかえおろう! 頭が高ーい!」といいたくなってしまいます。満月をバックに降ってくる兵士など時代劇のような構図がところどころにあり、監督、日本映画がお好きとみた。

バーフバリの兄(血縁上は従兄弟)やその父には「おまえは俺の犬だ」だの「国母シヴァガミの犬のくせに」だの犬犬いわれて蔑まれているカタッパですが、冒頭のあるシーンで「犬は鼻が利きますので」とドスの利いた声でチクリとやり返すところなど、もう、全国のカタッパファンが身震いしそう。最高にシビれましたよ。

「1」の衝撃のラスト後、インドでは続編公開まで実に2年間あり、“Kattappa ne Bahubali ko kyon mara?(カタッパはなぜバーフバリを殺したのか?)”がちょっとした流行語となり、世間をザワつかせていました。完結編となる本作ではカタッパの愛らしさを存分に描いたのち、残された謎が明らかになっていきます。

悪の必然性

「1」でも悪人っぷりを発揮していたバーフバリ(父)の兄(血縁上は従兄弟)バッラーラデーヴァは、「2」ではさらにゲス度が増していてナイスです。

デキのいい弟に激しく嫉妬する一方、母にはそれを悟られぬようにするところが泣かせます。シヴァガミはバッラーラデーヴァには実母であるにも関わらず、血の繋がりのないバーフバリのほうに国王の素質を認めているので、ひがむのも当然というか、かあちゃんに認められたい、かあちゃんを独占したいという気持ちが歪んだ悪を生んでいくのだという象徴でもあります。

インド的な俯瞰における悪や悪魔は、絶対的に悪、白黒の黒で、バッサリ斬られる運命にあるにも関わらず、人の世の常として必ず善とセットで捉えられるものです。その悪が起因するところに迫り、悪の憐れさを人に示し、改心を促し、悪が善に転じたりもします。乱暴な言い方かもしれませんが「人類はすべからく原罪を背負っているものだ、だから神にすがれ。以上」とする西洋のキリスト教的世界観にはあまりない、インド的な哲学といえましょうか。粘り強いというか気が長いというか、結局すべてを飲み込み「この世界」として受け入れていく大伽藍というか。

グッときちゃったタイトルソング

冒頭、ある重要な儀式のために象に乗るシーンがタイトルソング(ちなみにすべての動物シーンはCG合成だそう)で、この曲がめっぽうかっこいいんです。

世界で一番、優雅で美しい象乗りシーンです。シビれます。世界の英雄の肖像画って斜め45度上を向いているのが多いように思うのですが、この斜め45度上方向はピカイチのキマり具合だと思います。バーフバリ演じるプラバースは大柄なのもあって戦いのシーンのアクションはややモッサリしていますが、このようなポーズはひじょうに安定感があってすばらしい。

そう、私は開始早々にこのシーンで放たれた矢にざっくりとハートを射られました。この矢は最後まで刺さったままで、映画を観終わっても刺さったままで、帰国便に乗れるか危ういギリギリの時間まで2度目の鑑賞を敢行し、機内でも頭のなかはずっとバーフバリ。 完全に、完全に、恋をしました。バーフバリに恋い焦がれる毎日です。このときの矢の的は悪魔像で、これは26年に一度行われる悪魔祓いの儀式というのはともかく……。

悪魔を倒すこの矢は私のハートにもざっくり刺さりました。180度きれいに開いた膝も上半身の安定感もすばらしすぎる!

弓の射手ルドラ神

このかっちょいいタイトルソングのなかでも特にかっちょいいのが、繰り返し出てくる次の合唱です。

Heysa rudrassa(へいさ るどらさ)
Heysarabhadra samudhrassa(へいさらばどら さむどらさ)

私が観たヒンディー語版では劇中歌もヒンディー語で、この曲のこの部分は

Aisa wo aisa(えいさ ゔぉー えいさ)彼は(まるで)そのように
jaie par vat avichal sa(じゃいえー ぱるゔぁと あゔぃちゃる さ)山のようにどっしり構えて進む

となっています。勇ましいことは勇ましいのですが、ちょっとチャラい感じがします。

オリジナルのテルグ語版の歌詞は古代インド語であるサンスクリット語の語彙を使っているようで、意味を知りたくて東海大学でインド哲学を教えている川尻道哉センセーに聞いてみました。

heyssa は呼びかけ(ああ、みたいな) rudra は風の神の名(シヴァの別名) hesarabhadra はわかりませんが、bhadraは「優れた」「賢い」という意味です。 samudraは「海」なので、まとめると 「おおシヴァよ、いと賢き海の男よ」みたいな意味になるのではないでしょうか。テルグ語がわからないから推測ですけど。

ふむふむ。風の神ルドラ(Rudra)についてはWikipediaにも記述がありました。ヒンドゥー教が確立する以前のインド神話の神で、弓矢を持ち、たった一矢で悪魔の要塞を破壊したという説話があるとか。

人々がその怒りを恐れる、強力で荒ぶる神であるが、聡明さと優しさを兼ね備え、人々の健康・安寧を保障する存在でもあり、医薬を司るともされた。

ヒンドゥー教確立後は、三大神のひとつである破壊の神シヴァと同一視されたということで、まさにバーフバリ(出自がわかる前の呼び名はシヴァ/シヴドゥ)とかぶるわけです。またデーヴァセーナーは軍神ムルガン(北インドではスカンダ、紆余曲折あってシヴァ神の息子とされている)の妻となる女神でもあります。

こういったインド神話的な響きがあるという点で、シヴァ神と関係深い「山」という言葉を取り入れつつもイマイチ決め手に欠けるヒンディー語版よりも、ルドラ神というそのものズバリの神の名を入れたオリジナルのテルグ語版に重厚感があるというのも頷けます。この「へいさ るどら さ」の一節は、作品全体の「ここぞ!」という見せ場で効果音的に使われていて、やたらかっちょいいのです。

かように、本作はインド神話の背景を知っているとより楽しめる作品でもあります。ざっくりと知りたい方には、下記の名著が読みやすくておすすめです。

普遍の南インド顔

このように、インド神話やヒンドゥー教的な世界観が根底にある作品なので、主人公のバーフバリの「顔」はとても重要なポイントだったといえます。バーフバリ役のプラヴァースは、顔の各パーツが丸みを帯びて、土臭さを感じさせる正統的な南インド顔。この南インド顔が、北インドでもウケて女性たちがキャーキャー騒いでいるのがとても新鮮でした。同じインドとはいえ南北では美男美女の基準やセンスがまったく違うので、今までならありえない光景です。思わず振り返ってどんな女子たちが騒いでいるか確認すると、よくいるバリバリ北インド女子たちでした。

そう、北インドの文化はその歴史を紐解いていけばいずれ西方とつながっており、人種的にも北インドの人々は、肌の色を薄くしたらそのまま西洋人に見えるような雰囲気があります。だから”Mohenjo Daro”(2016)のように明らかに西方とわかる話や、イスラーム王朝のムガール帝国が舞台になった作品はインド映画の中でもボリウッド向けといえます。ところがボリウッドの俳優がバーフバリを演じていたとしたら、どことなく洋物臭いチャラさが出てしまい、ここまでの正統的ザ・インド神話という重厚感を出せなかったと思います。

私も日本人の端くれなので、日本男子がすきですし、日本の俳優さんにもいいなあかっこいいなあと思う方はいます。でも日本の線の細い美少年(美青年)は扱いが難しいし(めんどくさいともいう)、なによりも、重量級の私が抱きついたらよろけてしまうじゃないですか。

きゃーっと飛びついてもびくともしない、そんな男バーフバリにね、抗いがたい魅力的を感じます。がんばって腕を回しても後ろまで届かないくらいの胴回り、とても重要。

映画でしか描けない景色

デーヴァセーナー姫のふるさとのクンタラ国は、雪山に抱かれた白亜の宮殿と花園という、うっとりするような美しい国でした。一方バーフバリのマヒーシュマティ国も「ちょっと縮尺間違えたんじゃないの?」といちいち突っ込みたくなりますが、壮大な建築が見応えがあります。こんなとこインドにあったっけ? という疑問はさておき、私もあの国々に行ってみたいです。

クンタラ王国。インドにあるならぜひいってみたい
マヒーシュマティ王国。インドにこんな場所があるなら……以下同文

入魂のミュージカルシーン

冒頭のタイトルソング以外の音楽シーンも夢のように美しく見応えがありました。

ヴィシュヌ神を祀る祭礼で歌い踊りながら、傷ついたバーフバリを遠回しに癒すデーヴァセーナー。

ヴィシュヌ神はヒンドゥー教三大神のうちのひとりで、「神様界きっての超美形で女たちの憧れ。横笛の甘い旋律で女たちをたぶらかすモテ男」というキャラ設定があります。デーヴァセーナーは祭礼でヴィシュヌ神を祀りながらその姿にバーフバリを重ねている、つまり「かなり意味深な想いが込められている」ことを示すミュージカルシーンです。

このダンスシーンのデーヴァセーナー役のアヌーシュカ・シェッティは、綺麗に撮れているし可憐な姫の祈りの雰囲気をよく魅せているのですが、おそれながら踊り自体はとても平均的。インド古典舞踊ファンとしては、ぴったり後ろでただならぬ動きをしているデーヴァセーナーの義姉(兄の妻)役のAshrita Vemugantiさんに目が釘付けです。

調べてみたら彼女、やはり南インドの古典舞踊バラタナティアムおよびクチプティの踊り手でした。短いながらこの人が中心に踊る場面もあって楽しめる一曲です。Ashritaさんがバラタナティアムの演目ティッラーナを踊っている動画があったので興味のある方はこちらをチェックしてみてくださいね。

バラタナティアムの公演はさまざまな演目のあと、一番最後にティッラーナという種類の曲でしめます。これは舞台のあいだ、ステージに降りてきていただいた神様に空に帰っていただくための歓喜の踊りといわれている演目で、大盛りあがりの演目のあとにその余韻を残しながら踊られるものです。

以前は映画女優といえば古典舞踊のたしなみがあったそうですが、最近は古典の素養がない女優が主流です。エンターテイメントの頂点ともいえる本作に、古典の世界で活躍するこのような女優さんが登場するのはたいへん喜ばしいことです。厳しい芸事の世界で長年の訓練を経た踊り手だけがだせる表現の妙をすこしでも感じていただければ……。

本作のメインのダンスシーンは前半に集中していまして、次の曲が3曲め。

こちらは公式の動画がないので音楽のみで。うっとりするような旅立ちのシーンです、本編をどうぞお楽しみに。

インドでは”1”の公開が2015年7月、”2”は2017年4月末公開ですから、インドの観客は約2年も待たされたわけです。日本では今年2017年中の公開が決まっているそうなので、あまり間をおかずに見られてラッキーといえましょう。

最後はやっぱり肉弾戦。シヴァ神の象徴シヴァリンガに血の誓いを立てて挑む!

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投稿者: アンジャリ(Anjali)

アンジャリ(Anjali)
Masala Press代表・印流楽しいこと案内人。神奈川県茅ヶ崎市生まれ。東京外国語大学インドネシア語科卒。学生だった1997年にバックパッカーとして単身インドを訪れ3ヶ月を各地で過ごす。以後、インドの舞踊と映画に心酔。ガイドブックなどのライターを経て旅行会社に就職、インド専門添乗員を務めるも、2001年からはインドとロンドンを拠点に放浪生活を送る。2006年に本帰国、外資系証券会社に再就職、10年間の会社員生活を経て、現在、インド映画の印流ブームを興すべく奮闘中。