教えて先生! Padmaavatを巡る論争について


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さて、マサラプレス運営チームは「インド映画が観られたら幸せ」という単細胞の集まりなので、その背景を深く考えるということはあまり……、ありません。

とはいえ、日本上映もされる作品について、日本語によるもうすこし詳しい事情がわかるといいなということで。

本日は東海大学の准教授・川尻道哉先生(インド思想界隈がご専門)にそのあたりをお聞きしてみました。ひとつの見解として参考になれば幸いです。

※結末について触れている部分があります。ネタバレを回避したい方はご注意ください※

 

Padmaavatを巡る論争について

映画” Padmaavat” に関しては、すでに前記事にあるように、その内容をめぐる論争が暴力を伴う脅迫のレベルに至っており、タイトルの変更を含む諸々の調整を経て当初の予定より2ヶ月遅れてようやく上映にこぎつけようとしています。

Karni Senaという団体

この作品の上映禁止を訴えてきたのは、主にラージャスターン州を本拠とする Karni Sena というラージプートの団体です。

ラージプートというのは、rājaputra「王の息子」を語源とする言葉で、その歴史的淵源には様々な議論はありますが、概ねクシャトリヤとしての血統的純粋性を誇りとするひとつの大カーストといえます。ラージャスターン州を中心に、インドの北西部に主に居住しており、インドのヒンドゥー保守派の代表的な集団です。

そのラージプートの中で、Karni Sena は 『Jodhaa Akbar』(2008) という映画に対する抗議活動でその名を知られるようになりました。

この映画は、ムガール朝のスルタンであるアクバル帝とラージプートの王女のラブロマンスを描いたものですが、この作品におけるラージプートの描写に対して「歴史修正主義である」として抗議が行われました。

映画”Padmaavat” もまたイスラーム王朝のスルタンとラージプートの女性をめぐる物語です。

デリー・サルタナット第二の王朝であるハルジー朝の支配領域拡大に貢献したアッラー・ウッディーン帝(編集注:前記事では”アラウディン・キルジー”と記載)と、ラージプートの王の妻であったパドミニ(パドマーヴァティー)を描いており、その描写に Karni Sena が抗議し、さらに現在の政権党である右派政党 BJP (インド人民党)の一部の急進派政治家およびその支持者が乗った形です。

この BJP 政権の存在が、2008年公開の 『Jodhaa Akbar』 の状況との違いといえるでしょう。

元となる叙事詩と作者について

映画”Padmaavat” は16世紀のスーフィーの詩人マリク・ムハンマド・ジャヤシの同名の叙事詩を題材としています。

パドミニは後世のジャヤシが創作した人物ですが、この叙事詩の中でパドミニはアッラー・ウッディーンの求婚を断り、女性としての尊厳を守るために自死します。

ジャヤシはそれを貞淑の象徴として賞賛しています。

ここで注目すべきなのは、ムスリム(イスラーム教徒)であるアッラー・ウッディーン帝を残虐な侵略者として、そしてパドミニを美しく貞淑なヒンドゥー女性の鑑として描いているジャヤシがスーフィー、つまりイスラーム神秘主義の詩人であることです。

イスラーム神秘主義スーフィー

スーフィズムは、イスラーム教の中でも清貧を旨とする出家修行を特徴とし、汎神論的な神秘主義信仰を中心とします。

デリー・サルタナット諸王朝もムガール朝もトルコ系であり、特に中央アジアのトルコ系民族の中ではスーフィズムが盛んだったため、インドに入ってきたムスリムも多くはスーフィーでした。

その信仰のあり方がヒンドゥー教徒にとって理解しやすいものであったために、インドではイスラーム教は”スーフィズム”として受容され、宗教改革者カビールシク教の教祖にして初代グル・ナーナクに代表される融合思想すら生むことになり、また多くの低位カーストのヒンドゥー教徒が、差別から逃れるためにイスラーム教に改宗しましたが、彼らの信仰もまたイスラーム教とヒンドゥー教のハイブリッドと呼べるものでした。

ジャヤシの創作活動もこのような宗教的風土の中で行われたもので、宗教を超えた美や価値を謳うのがスーフィーの詩人だったのです。

ジャヤシ没後も続いた宥和政策

付け加えるなら、ジャヤシの死後即位したアクバル帝は、ヒンドゥー教徒をはじめとする異教徒に対するジズヤ(人頭税)を廃止し、ラージプートと同盟を結び、シーク教徒にアムリトサルの土地を与えるなどの宥和政策を実施し、その曾孫であるダーラ・シーコーはスーフィズムとヒンドゥー教はもはや同じ信仰であるとすら考え、多くのウパニシャッド(奥義書)をペルシア語に翻訳する事業を行うなど、スーフィズムとヒンドゥー教の関係は寛容と融和を特徴とするものです。

スーフィズムの信仰自体は、イスラーム教の主流からは異端視されて衰退しましたが、インドやパキスタンでは、たとえばパキスタンにおけるカッワーリー(宗教歌謡)のように、スーフィズム文化の伝統が今でも力強く息づいています。

このような歴史を考えると、Karni Sena らラージプートの人々、そして BJP の急進政治家の態度は、寛容の歴史をなかったものとしようとする歴史修正主義であると言わざるを得ません。

価値観のねじれ

ラージプートの本拠であるラージャスターン州の首相ヴァスンダラ・ラジェーもBJPの政治家であり、映画”Padmaavat” の上映禁止を主張しています(編集注:2018年1月18日付で州による上映禁止命令は最高裁により差し止めとなっている)。

しかしラジェーは同時に、ラージャスターン州における女性の地位の向上や労働環境の整備に関する先進的な政策を推し進める、ラージャスターン州初の女性首相でもあります(就任自体は二度目です)。

ここに現在のインドにおける価値観のねじれを見て取ることができます。

ラジェーには、BJP の政治家としての極めて保守的な側面と、女性に対する抑圧をインド最大の社会問題として捉える現代的かつ現実主義的な面が共存しています。そして  映画”Padmaavat” に関するインドの人々の反応にしても、Karni Sena のような保守派による反対と同時に、この作品を支持し暴力に反対する多くの運動があります。

経済成長とネット社会化によって様々な価値観が併存し動的に変化する状況の表れとして、本作品をめぐる論争を捉えることができるのではないでしょうか。

※表紙画像は物語Padmavatに関するWikipediaより

(執筆・川尻道哉 / 構成・編集・マサラプレス運営チーム)


アンジャリ(Anjali)

アンジャリ(Anjali)

Masala Press代表・印流楽しいこと案内人。神奈川県茅ヶ崎市生まれ。東京外国語大学インドネシア語科卒。学生だった1997年にバックパッカーとして単身インドを訪れ3ヶ月を各地で過ごす。以後、インドの舞踊と映画に心酔。ガイドブックなどのライターを経て旅行会社に就職、インド専門添乗員を務めるも、2001年からはインドとロンドンを拠点に放浪生活を送る。2006年に本帰国、外資系証券会社に再就職、10年間の会社員生活を経て、現在、インド映画の印流ブームを興すべく奮闘中。

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