飢えに一撃とミスター・チンはいう

世界は不条理に満ちている。持てる者と持たざる者、使う者と使われる者、搾取する者と搾取される者。人類の歴史は戦争と飢餓の繰り返し、いまもどこかで進行中、けっしてなくなることはないように思える……。

しかしこの男ランヴィール・スィン(Ranveer Singh) – Masala Pressでこれまでも偏向的に話題にしてきたボリウッド界一の濃ゆい役者 – は黙っていない。誰でもすぐにおいしいヌードルを食べられるぞ。濃ゆい目鼻立ちをさらに濃ゆくする髭づらで、圧倒的なクドさとチャラさとダンスの才能を見せつけながら、なにやら訴えています。


オレはピンポン地区のボス、チン。流れ者たちの王者さ。空からの酒を持ってこい、少し毒を入れて。ぜんぶ飲み干してやる。オレの喉を乾いたままにするなよな。

今宵はオレのもの、お月さまもオレのもの、このもてなしに不足はない。Oh ダーリン、スパイスをピリッと利かせてな。オレの名前をさあ覚えて、そして味わって。マイネーム・イズ “ランヴィール・チン”


なにかと思いますれば、こちら食品メーカーCapital Foods(キャピタル・フーズ)が正統的な”Desi Chinese”(インドで独自の道を歩んでいるインド風味の中国料理)と商品を展開するブランドChing’s Secret(チンズ・シークレット)のインスタント麺のコマーシャルでございます。リリースは1年以上前のことです。いまやランヴィールが演じる謎の中国人(?)ランヴィール・チンは商品の顔としてすっかり定着。同じころコンドームのDurexのコマーシャルにも出演し「Durexをつけようぜ」という歌詞とともに踊り狂ったり、下着メーカーのコマーシャルではサメをボコボコに殴って動物愛護団体に訴えられたり(ちなみにサメはおもちゃ)となにかと話題を振りまきました。

このランヴィール・チンが刺激的なダンス野郎だけではないことが分かったのが本年5月のことです。Capital Foodsと、子どもたちに学校給食を提供する活動を2000年から続けてきたNGO団体Akshaya Patra Foundation(アクシャヤ・パトラ基金)がタッグを組み、India ke Hunger ki Bajao(インドの飢えに一撃)というプロジェクトが始まり、その顔としてランヴィール・スィンが登場しました。750ルピー(本日のレートで約1,400円)の寄付で、子どもひとりに1年間、学校給食を提供できるというプロジェクトです。


今日(こんにち)の世の中、750ルピーでいったいなにが買えるだろう。

映画館でふたり分のチケットとポップコーン。日曜日だったらポップコーンはなし。
喫茶店で2杯のコーヒー。あるいは感じのいいバーでなにか一杯。せいぜい一杯だね。
クラブかディスコにでも行くならカップルの入場料。女連れだと厳しいかも(ま、それはさておき!)。
ブランドもののお洒落な服の店にでも行ってみなよ。750ルピーじゃハンカチセットぐらいしか買えないよ。
(高〜いハンカチに鼻水つけちゃった。「サンキュー」)
女の子の化粧品なんて7,500ルピーだって足りないだろ?
750ルピーじゃあ、ちょっとすてきなリップスティック1本……(も買えないかな)。
好きなロックバンドのコンサートのチケットがほしい? 750ルピーで?
買えるよ、ステージから500メートル離れた席ならね。

じゃあ750ルピーでなにが買えるだろう?

子どもひとり分の1年間の給食。そう。丸1年間分。

あなたの画面に映ってる番号にショートメッセージを送ってね。
そしてたった750ルピーでインドの飢えに一撃食らわそうぜ。

……ちょっとちょっと、なにを待っているんだい、寄付しにいっておくれよ。
だめだめだめ!この動画を閉じて別の動画なんか見始めないでよ、お願いだから。

下のリンクをクリックしてよ。
もう1回動画を観るとかいわないで、下に表示されているリンクをクリックして。

みんな、10秒で済むから。給料を半分よこせとかゴアへ行く旅費を出せとかいってるんじゃないんだ。
750ルピーだよ、750ルピー。

コーヒー2杯分、携帯カバーひとつ分だよ。ヘアカット一回分。
信じてよ。明日懐が寒くなることもないよ。すごくいい気分になるよ。

だからお願い前に進んで。寄付をして。

どうか寄付をお願いしたい。でないと陳腐な台詞をもっと繰り返さないといけなくなる。
どうか寄付をして下さい。心からお願いします。

Just do it.


こんな感じの給食みたいです
こんな感じの給食みたいです

画面にチラっと映った給食は、インドを支える重要なタンパク源であるひき割り豆ダールのスープに白いごはん、全粒分の無発酵パン・チャパティ、そして野菜のカレー。加工食品や過剰な油脂は使わず、アーユルヴェーダ理論に基づいた身体に優しいメニューが衛生の行き届いたセントラルキッチンで調理され、温かいまま各学校に運ばれるとか。質素ではあるけれどバランスのよい食事です(しかもこれ、普通においしいと思われます。毎日の家庭料理もこんな感じで、みなさんが思うようなインドカレーは普段はあまり食べません)。インド政府からの補助金もあるため、これらを一食あたりの実費8ルピー(約15円)で提供できるそうです。


それにしてもチンとスィン。キャラが違うにもほどがあります。しかし同一人物です。

不動産業を営む裕福な家庭に生まれたランヴィールは、インドで学んだのちアメリカの大学で文学士号を修め、帰国後はコピーライターや裏方ADとして働き、20代半ばで役者としては遅めのデビュー(インドの俳優は大卒が多く全般にデビューは遅めではある)。2010年のことです。大作や話題作に次々出演し貫禄充分ですが、デビューしてまだ5年しか経っていないんですね。

このプロジェクトの要は、単に給食を提供するというだけでなく、学校へ行けば食事ができるという理由で子どもたちが学校に行きやすくなることです。就学年齢であっても働かざるを得ない、学校に行けない子どもには、生きていくうえで絶対に必要な読み書き計算その他を学ぶ機会がありません。待っているのは食べていくのが精一杯の下働きの人生です。裏を返せば、読み書き計算ができれば子どもの将来の選択肢は飛躍的に増えるということです。

低栄養を改善し、基礎教育を受けられる子どもを増やす。このプロジェクトを考えた人はスゴイ! と思います。そして、いいとこボンであることをあっさりと暴露しつつも、なにかとチャラい男を演じてくれるランヴィールのピエロっぷりもおみごと。まったくもって、惚れてしまいますがな。ま、やんちゃな写真もたくさん流出しているから、チャラいことはチャラいような気もしますが……。


Masala Pressは特定の政治・宗教団体とつながりはないですし、右とか左とか思想とか活動などという勇ましい理念もありません。しかし運営母体であるDOZO Filmsが「私たちの約束」として掲げているものには「関わる人すべてにさまざまな形の利益を生むこと」があります。この「関わる人」には、映画とは直接関係のない、けれども確実に私アンジャリのいまをつくっている無数のインドの人々も含まれます。

もうずいぶん前のことです。映画観たさに時間とお金があれば足繁くムンバイに通っていたころがありました。ムンバイは国際的な商業都市なので、出張で短期間訪れ、ビジネス街と一流ホテルを車で往復しているだけならインド以外のほかの国の都市とあまり変わりがありません。けれどヒマなビンボー旅行者としてだらだらと下町を出歩いていると、言葉を失うような現実がいきなり目の前に現れることもあります。

あるとき、ムンバイに降り立ち空港近くで市内までのタクシーを探そうとしていたら、いかにも路上生活という出で立ちの子どもたちに囲まれました。お金をちょうだい、と彼らはいいます。空港のカウンターでタクシーを手配すればそんなことにも遭遇しないのですが、すこし割高です。その「すこし」をケチった私は、流しのタクシーを拾おうと、夕暮れのなかてくてく歩いていたのです(特に女性は絶対に真似しないでくださいね! 空港〜市内のタクシーは事前手配か空港カウンターで手配してね!)。

それまでにも何度もインドを訪れていたので、物乞いやストリートチルドレンにはある程度慣れていたはずでした。そのころの私の対処方法は「無視して通りすぎる」でした。ひとりになにかあげるとあとからあとからやってきてキリがないので、ひたすら知らんぷりするしかありませんでした。しかしそのときは3歳くらいの女の子が足にしがみついてきました。それでもやりすごそうと、私はその子を足にしがみつかせたまま、ずるずると引きずって歩いたのです。

10メートルほど進んで、これって人としてどうなのよとハタと我に返りました。目が合うとその子は、おなかが空いているからなにか食べるものをちょうだい、という仕草をしました。ほんとうに切羽詰まった目をしていました。小銭もなく、その状況で背負ったバックパックをおろして中身を広げる勇気もなく、手荷物のポケットに入れていた、機内でもらったクラッカーの小さなパックを渡そうとしました。

女の子が受け取る前に、横から割り込んで、年かさの男の子がそのクラッカーを奪っていきました。それをまた別の男の子が奪おうとしています。たぶんもう粉々です。そもそも2枚くらいしか入っていない、たいして美味しくもないクラッカーなのに。

目の前でクラッカーを奪われた女の子には表情がありませんでした。消え入りそうな小さな声で「ディディ、ディディ(おねえさん、おねえさん)」と呼びながらついてきます。最終的にはその子を振り切って歩いていくしかありませんでした。子どもが子どもらしい表情をなくすということの切なさを、いまに至るまでずっとかみしめています。

金銭的には裕福でなくても、飢えていない子どもには笑顔があります。話が飛びますが「トンマッコルへようこそ」という韓国映画で理想郷として描かれる村に紛れ込んだ、戦いに疲れ果てた兵士が「この村をこんなに平和に保つ秘訣はなんだ」と村長に聞く場面を思い出します。村長は「腹いっぱい食わせることだ」と答えるんですよ。

「インドの飢えに一撃」プロジェクトを推進しているNGO団体Akshaya Patra Foundation(アクシャヤ・パトラ基金)の名称アクシャヤ・パトラとは、インド二大叙事詩のひとつである「マハーバーラタ」に出てくる壺のことです。


Surya_gifts_Yudhishthira_the_Akshayapatra

夫が厳しい修行の成果として太陽神インドラから与えられたこの壺は、一家全員分の食べものが毎日出てくる不思議な壺。客人や家族、そして最後に妻が食べ終わるとその日の分はおしまい。

ある日、妻が食事をし終わり、あいにく壺の恵みがおしまいになったあとに客人がやってきてなにか食べさせろというが、もうなにも出なくて妻は困ってしまう。クリシュナ神に祈り助けを求めるとクリシュナ神は現れてくれたものの、これまた空腹だからなにか食べさせろという。

「もうなにもないのです」という妻に、「よく壺のなかを見ろ」とクリシュナ神。よく見ると、ごはん粒がすこしだけ残っている。そのほんのすこしのごはん粒を口にしたクリシュナ神は「ああ、満腹だ」という。

不思議なことに、クリシュナ神が満腹になったら、その日は客人も含め、この世のすべての生き物が満たされ、空腹を感じることがなかった。


私は寄付は「縁」と「気分」でします。なにかいいことがあったからとか、そんな理由で、自分に縁があると思うところにあまり深刻にならずちょいちょいお金を送ります。そうすることで、ランヴィールがいうように、とてもいい気分になります。つまり自分のために寄付をしています。その自分のためのいくばくかのお金が、誰かに笑顔を思い出してもらうきっかけになればいいなと思っています。あるいは将来路頭に迷うことがあれば戻ってくるやもしれません。

ちなみにいまは、誰にいつなんどき「お金をちょうだい」といわれてもいいように、インドにいる間は小銭だけが入ったがま口を持って歩いています。子どもたちにワーッと囲まれたら、慌てず騒がず、一番年かさの、そのグループで力を持っていそうな子どもを見極めて、その子に細かい紙幣を何枚か渡して彼らにさばかせることにします(それでだいたいその場は収まる)。ムンバイなどの都会で哀れっぽく演技をしてくる子どもはバックにギャングがいることが多いので、お金ではなくビスケットなど食べものを渡します。いずれも自分のなかで最高ランクの仏頂面でサッと素早くやってすぐに立ち去ります。そこでニコニコしたりもたもたやっているとトラブルの元。「ありがとう」といわれることなどあまりないし、むしろ「少ない。もっとよこせ」と文句をいわれたりしますが、それでいい、と思っています。涙ながらに感謝などされたら神様を恨んでしまいそうだから。

Hunger ki Bajaoプロジェクトは日本からもクレジットカード決済で寄付できます。手順もわかりやすい英語で示されています。世界の不条理に草の根の微調整を入れたい気分になったら、ぜひ。

投稿者: アンジャリ(Anjali)

アンジャリ(Anjali)
Masala Press代表・印流楽しいこと案内人。神奈川県茅ヶ崎市生まれ。東京外国語大学インドネシア語科卒。学生だった1997年にバックパッカーとして単身インドを訪れ3ヶ月を各地で過ごす。以後、インドの舞踊と映画に心酔。ガイドブックなどのライターを経て旅行会社に就職、インド専門添乗員を務めるも、2001年からはインドとロンドンを拠点に放浪生活を送る。2006年に本帰国、外資系証券会社に再就職、10年間の会社員生活を経て、現在、インド映画の印流ブームを興すべく奮闘中。